ひきこもりを社会へ!

私は、地元中小企業で働いていました。そのときは私自身も、まさか自分が「ひきこもり」になるとは思っても いませんでした。しかし、20代後半、残業や夜勤による体調不良、精神不安から人間関係も上手くいかなくなりました。それは 、これまでに感じたことのない感覚で、すでに自分ではどうしようもない状態になり、退職しました。無職と無収入の不安と焦りで、体調不良の中、焦って再就職もしましたが続かず、また再就職をして続かず を繰り返し、私は自信を失い「ひきこもり」になりました。

しかし、数年経ったある日テレビで見たひきこもり特集で、自身が「ひきこもり」であったことに気づき、 「このままじゃまずい!」「どうにかしなきゃ!」と、様々な機関に相談をしました。しかし、制度の狭間で支援対象外であった私の支援をしえてもらえるところは見つかず、最後の最後にたど り着いたのが、支えてねットワークです。

長年ひきこもり生活をしていた私にとってはすぐに就活は厳しく、家以外の居場所に日々通う外出トレーニ ングをするため、支えてねットワークの拠点である「和の家」に通い始めました。「和の家」は、まさに自宅以外の社会での「居場所」となりました。 ひとりではなく、仲間やスタッフと一緒であるということが、社会にでることの不安を和らげてくれました。週に1日だけの利用だったものが、開所日すべてに参加できるようにもなりました。

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通うことに慣れてきた段階で、NPO内で「就労体験」をすることになり、パソコンによる印刷物の作成業務等 を行ないました。そうして、役に立てることを実感できるようになり、社会で働く自信を取り戻してきました。

そうして、社会で働く準備ができた時、出会ったのが、1830年代から続く老舗で、国宝などの神社仏閣の桧皮 ぶき屋根を作る「ひわだや」さんでした。

ひきこもりを社会へ!
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山口市にある国宝「瑠璃光寺五重塔」の桧皮ぶき屋根を作ったのも、ひわだやさんです。

同社では、桧皮葺の屋根材加工をする職人(桧皮拵え師・ひわだこしらえし)になる人材を探されていて、ひ きこもり支援にも関心を示してくださったこともあり、「修行」させていただくことになりました。

そして、1年数ヶ月後、師匠より一人前として認めていただくことができました。ひきこもりだった私が、国宝などの檜皮を作る職人になれたことは、これまで生きてきた中で一番大きな自 信を得る出来事でした。桧皮拵え師として作業をする私

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また、今では、桧皮拵え師の仕事をする傍ら、「ハンマーダルシマー」という民族楽器の輸入販売業を行う会 社も立ち上げ、社長として会社の経営も行っています。

ひきこもりの時代はとても辛いものでした。しかし、支えてねットワークが、どこからも支援が得られず、行くと ころのなかった私の「駆け込み寺」となってくれ、外出トレーニング(居場所づくり)や就労体験などもこの団 体が行ってくれていたからこそ、いまの私があります。

ひきこもり経験者として、ひきこもり支援において これらの一連のサービスの存在は不可欠であると確信しています。私のように、ひきこもりだった人が社会 に出るとどうなるでしょうか。まず、働いて税金を納め、スーツや車を買って仕事に行き、買い物や 外食などもするようになります。また、彼女もできて、デートや旅行もし、 結婚式を挙げ、子どもを作り、保険にも入り、家も建てるかもしれません。

それが山口県で2万人いるとどうでしょう。日本で54万人(15歳~39歳)、そしてそれと同数いると予想される 40歳以上のひきこもりが社会復帰するとどうでしょう。社会が変わっていくと思いませんか?

ひきこもりのままだと、逆に生活保護として税金を消費し、増税の理由になるかもしれまんせん。

こういった成果の出せる支援活動を山口県全体、そして、日本全体で当たり前にしていくためにも、皆様のご 理解をいただければ幸いです。

ご協力をよろしくお願いいたします。

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